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上島竜兵は神戸市垂水区北区育ち!関西弁を喋らない理由はなぜ?

「上島竜兵は神戸市垂水区北区育ち!関西弁を喋らない理由はなぜ?」と題してお届けします。

日本のお笑い界を代表するダチョウ倶楽部のメンバー上島竜兵さん。

太田プロダクションに所属され東京で活躍されていますが、出身は兵庫県神戸市だったんです。

関西育ちの上島さんですが、テレビで関西弁を披露しているイメージはないですよね?

関西出身の芸人さんだと知らない人も多いのではないでしょうか?

この記事では、

  • ダチョウ倶楽部上島竜兵さんの出身地
  • なぜ関西弁を喋らないのか?その理由について

調査してまとめたものをご紹介します。

 

上島竜兵は神戸市の垂水区と北区育ち!

お笑い芸人ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんは、兵庫県丹波市春日町の生まれです。

wikipediaでは兵庫県神戸市垂水区・神戸市北区育ちという情報がありました。

出身中学と出身高校を見ていると神戸市北区にある神戸市立鈴蘭台中学校と、神戸村野工業高等学校を卒業されていたんですね。

 

神戸市の中央区にある南京町で開催された豚まん100年大使のイベント。

神戸の観光PRに人力されたのはそんなゆかりの理由があったからだったんですね。

 

上島竜兵は関西弁を喋らない理由はなぜ?

ダチョウ倶楽部の上島竜平さんは、兵庫県丹波市で生まれ神戸市で育ち関西の出身でした。

関西出身でもテレビ番組内で神戸弁はもちろん関西弁で話す上島さんのイメージはないですよね。

さらに関西ローカルの番組でも標準語で話されていました。

同じダチョウ倶楽部メンバーの寺門ジモンさんも京都府出身の関西の方ですが関西弁使うイメージはありません。

上島竜兵さんが関西弁つかなわい理由を調査し考察してみました。

 

上島竜兵さん関西弁じゃない理由の考察①元々俳優志望だったから

元々は俳優志望だった上島竜兵さん。

青年座やテアトルエコーなどに在籍していた時に標準語にされたのでしょうか。

寺門ジモンは、お父さんが銀行員で転勤生活だったため全国各地で生活をされていたことがあるのかそもそも関西弁ではなかったという情報がありました。

 

上島竜兵さん関西弁じゃない理由の考察②所属事務所の方針?

ダチョウ倶楽部が所属する太田プロダクションは東京に本社がある会社なので、話す言葉も標準語のお笑いやモノマネのかたが多いと感じていました。

大阪に本社がある吉本興行や松竹芸能とは違い太田プロダクションの方針なのか?とふと思いましたが、これについてはリサーチしても情報を見つけることができなかったので考察になります。

 

上島竜兵さんが関西弁じゃない理由の考察③デビュー時代の社会背景

ダチョウ倶楽部がデビューして活躍を始めたのは1980年代です。

その頃はまだまだテレビ番組で放送される関西弁に対して受け入れらる風習がない時代だったそうです。

今でこそ吉本興業が東京に進出して関西弁の芸人も無理なく当たり前に受け入れられる時代ですが、当時は関西弁で受け入れられるのは明石家さんまさんくらいだったそうです。

1980年代は関西で人気の芸人が東京に進出しては失敗して帰ってくる例がたくさんあった時代背景があり、上島竜兵さんも関西弁を封印されたのではないでしょうか。

上島竜兵さんが関西弁じゃない理由の考察④メンバーが標準語だった

肥後さん、寺門さんとダチョウ倶楽部として活動を始められた上島さんは、メンバーのお二人が関西弁でないことで、ひとり関西弁になるとトークやコントのリズムがうまく合わなくなrということもあったのではないでしょうか。

関西出身なのに関西弁を話さない芸能人が登場する企画内容の番組にも出演されていましたね。

 

まとめ

「上島竜兵は神戸市垂水区北区育ち!関西弁を喋らない理由はなぜ?」と題しお届けしました。

2022年5月11日の朝に飛び込んできたダチョウ倶楽部上島竜兵さんの悲しい訃報でした。

日本を代表する誰もが知る上島さんですが、出身が関西の兵庫県だとうことをご存知でない方も多かったのではないでしょうか?

上島竜兵さんが関西出身のイメージがない理由として「関西弁を喋るイメージが全くないこと」を挙げてその理由についてリサーチし考察してまとめお届けしました。

いかがだったでしょうか?

芸人さんの座を確率されていたので、元々俳優を目指して学ばれていたことにも驚きました。

デビューされた時代の社会背景でも標準語を選ばれた理由があったかもしれませんね。

関西弁を封印して活躍されていた上島さんを讃える声も多くあり、そのプロ意識の高さも改めて感じますね。

訃報とともに流れて来た上島竜兵さんの育った街が神戸であり私自身も驚きました。

神戸のイベントにも来てくださっていたのですね。

最後まで読んでいただきありがとうございました。